風原燎の日記

風原燎って誰だよ

性スイッチ

起立。気をつけ。礼。息子たち、授業を始めるぞ。

性スイッチの入った人間は基本的に怖くて気持ち悪い。今、俺気持ち悪いですよ、って自覚を持ったほうがいい。

痴漢とかナンパが気持ち悪いのは、おそらくこのスイッチの不一致からだろう。片思いも、相手のスイッチが入っていなかったら、気持ち悪いと感じるかもしれない。

ただ、2人ともスイッチが入っている場合はたぶん気持ち悪くない。これが唯一の気持ち悪くない例かもしれない。

性スイッチは、相手と一致させることを心がけような。

着席。

高熱時の幸福体験は温泉旅行と同じ

高熱で何もできず、ただ布団に横たわっているとき。

それなのに、不思議と「幸福だ」と感じることがある。

実はこれ、温泉旅行の広縁でくつろいでいる感覚ととてもよく似ている。

 

高熱も温泉旅行も、日常のレールから外れて

“いまだけはこのままでいい”と、自分をゆるせる時間なのだ。

 

本当の意味でリラックスできるのは、

こうした「なにもできない」ことを肯定できたときなのかもしれない。

 

P.S.

こんな文章を書いていたら熱が40度まで上がったので解熱剤飲んで寝ました。

メンチカツをほめろ

今日洗濯と掃除をしました。偉くないですか????

洗濯・掃除をするなんて当然だろう、そんなことでは偉いに該当しない!と憤っている方、まあまあ、一度席にお座り下さい。ちゃんとやる方はそうかもしれないけど、僕はいつも面倒でサボってて、今日はなんとちゃんとやりました!ね、僕の中ではいつもに比べて偉いでしょう。

 

ただまあ、"自己満足の偉い"ではなかなか他者に褒めてもらえないのも事実。ちゃんと学校に行き、ちゃんと授業を聞き、ちゃんと課題をして、テストでいい点を取る。一般世間の賞賛を得るにはこれくらいしないといけない気がして、なかなかハードルが高い。だから自分で自分を褒めていきましょう。というわけで。

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メンチカツを食べようと思います!ヒュー!!!

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愛知出身はやはりコーミソース。これをかけて頂きます。

マジうま〜〜、最高ですわ。まじでお前ら、自分を自分で褒めていこう。

いや、それ以上に、メンチカツを褒めろ。

 

 

隣の芝が、青くて青くて仕方ない

彼女が空を飛ぶらしい。航空機に乗って、空港から飛び立つ。僕ら人間は、基本的には平面でしか生きられない。しかし彼女は、僕らの一つ上の次元で、僕ら皆が生きているよりも高い高度で、大空を思い思いに駆けるそうだ。

 

思えば、僕が大学に入った時、一番初めに興味を持ったのはこの航空部だ。高校時代の部活と大差ないような面ぶれの部活・サークルの中で、空を飛ぶこの部活はとても魅力的に映った。行こうと思ったのだが、お金がかなりかかるといううわさを聞き、説明会にも行かずに踵を返してしまったのを覚えている。

 

もし入っていたなら違う世界が見られたのかなと、そんな思いが湧いてくる。実際見られると思うし、彼女の様子を見る限り、本当に楽しいのだろう。心から楽しめたならば、それを続けるためにバイトを増やすこともできただろう。結論として、深く考えずに当時の金銭的な理由と出どころのわからない噂だけで入るのをやめてしまったことを悔いている。

 

だけど、こんなのはたらればだし、結果論でしかない。航空部に入ろうとした当時の意識というのは、たくさんある部活動・サークルのなかで少しだけ興味が湧いたに過ぎないし、なにより、空を飛ぶ彼女の存在がいなかった当時の航空部に、今と同じくらい興味が湧いたかと言えば、否だ。多くを知った現在の時空で、何も知らなかった過去の時空での選択を悔いることは無意味だ。

 

また、その瞬間だけにフォーカスを当てて悔いるのもおかしな話だ。その前にも後にも、航空部に入ることのできるタイミングはいくらでもあったと思う。飛行機を見て僕もあんな風に飛びたいと強く思ったのならば、航空部の名前を聞いた瞬間に飛びついていたはずだ。別に今だって、本当に入りたいと熱意をもって航空部の門をたたけば、おそらく入れてくれるだろう。要するに、僕は常に、航空部に入るだけの熱量が不足していたのだ。

 

じゃあ、僕はやりたいことに対して常に熱量が不足していて、何も成してこなかったかと言えば、そんなことはない。むしろいろいろ成してきた方だと思っている。昔から絵を書きたくて、それでデジタル絵を百時間近くも使って30枚も描いたし、ギターがうまくなりたくて、下手なりに弾けるようになったし、小説や漫画にはまって、コロナが始まってから150冊近く読み重ねてきたし、AtCoderでは上位30%に入り、また長期コンテストで296位を取ってきた。むしろ出来すぎだろう、と思う。

 

それでも、隣の芝が青くて青くて仕方がない。この世界は、一人ですべてを楽しみ尽くせる程度の容量ではないのだ。一人がすべてを経験するには、この世界はあまりにも広いし、あまりにも深い。だから、どれだけたくさんのことを経験して、深く深く入りこんだところで、その隣の芝は青いのだろう。

 

何かを選ぶということは、何かを捨てることである。そんな言葉を聞いたことがある。捨てるというと、さも大切であったものを断腸の思いで手放すような、そんな悲しさを携えた言葉に聞こえてしまう。だけど少し考えてみてほしい。この世界には一度も手を触れられずに生涯を終えてしまうものが山のようにある。だから、そんな中で偶然出会って、手に取ることができただけでも幸運なことだと思う。だから、この飛翔の夢を心に残して、僕はいつも通りの生活を繰り返そうと思う。

 

いつかセレブになったら、プライベートのジェット機でも買って、今度こそ大空を飛翔するかー。そんな大それたことじゃなくても、探せば大空を飛ぶ体験ができる施設くらいあると思うし。その時に備えて彼女に空を飛んだことの話を聞いてイメトレしておきますかね~

コーナーで、差をつけろ。

足の速い奴はモテる。小学生の時、そんなジンクスがあった。初等教育は、人間社会のルールに適応させる重要な時期だ。児童を叱り、ある一定のレールの上に連れ戻すという、画一化の教育がなされる。そういった場であるからこそ、差異はより際立つ。それがテストであったり、運動会のかけっこであったりするのだが、特に、全校生徒、先生、親や大好きなあの子に注目されながら走るあの時間は、小学生が最も輝く時と言って間違いないだろう。一位でゴールテープを切った奴には、女子たちの歓声が待っている。

 

若年期の恋愛は以後の恋愛に大きく影響を与えると聞く。よって、大人になってから困らない為に、小学生の時、足が速いことが肝要である。故に、小学生には『瞬足』を買い与えることが必要である。やや高いが、これを買わないと子供の結婚が危ぶまれることを考えれば、親心的にこれは必要経費である。つまり、世の中金である。このろくでもない、素晴らしき世界。小学生にBOSSのブラックコーヒーは苦いよ。

 

ところで、僕は小学生の時足が速かったのに今モテてないんですけど、バグですか?

猫はもはや、崇拝対象である。

猫は可愛い。これは普遍的なものである。

 

例を挙げよう。情報化が進んだ現代、 Twitter, Instagram などのSNSで自分や他人の写真を貼り付け、発信する側と受け取る側で楽しみや喜びを共有しようとする文化が当たり前になってきている。そんな中、ある人が猫の画像をアップしたとする。すると、すぐにいいねが飛んでくるだろう。これは、赤ちゃんの写真を見た人が皆、その赤ちゃんを可愛い、と言うことに似ている。赤ちゃんを見て冗談で「ブサイクだな〜笑」と罵ることはあっても、本気で罵倒する人は居ないだろう。

 

そんな可愛い猫だが、その影響力を舐めてはいけない。例えば、元イギリスの首相ウィンストン・チャーチルは、自分の死後、自宅を英国政府に寄付する条件として、愛猫ジョックを永久に住まわせることを提示したのだという。かたや、ホワイトハウスに史上初めて猫を持ち込んだリンカーン大統領は、「猫を大事にしない奴は信用出来ない」とまで言っている。もはや猫とは信用問題である。転じて、政治問題である。ホワイトハウス内では、猫は尊すぎて、もはや忌むべきものとなっていたに違いない。誰もが猫を崇め奉り、通りかかる野良猫にすら礼拝をする始末であろう。これは、これまで長い歴史で安定してきた生物史の序列が崩壊した瞬間である。猫は悠々と人類の上に君臨し、鷹揚と猛威を振るう。法治主義などはもう過去の産物、猫治(びょうち)主義の時代の到来である。

 

この時代の中、ごく一部の人類であるが、ぬこ様にお近づきになろうとするものがいる。にゃんこコスをする者達だ。彼女らは猫耳肉球、しっぽを携えて、同じ人間に対してにゃんにゃん♪と甘えてかかるのである。このことに対する世間の風当たりは冷たい。アホくさい、打算的、現実逃避...。冷たい視線を受けているが、人間はこのにゃんこ達を下に見てはいけない。その実、彼女らは人間という枠組みを脱し、猫という、より高尚な枠組みへと昇華しているからである。

毎朝の債権運動を怠るな

「ねえ、あなた13年前にレクサスLS XF30型を私が貸したお金で買ったでしょ、返してよ」

『いや、時効だから』

「はぁ?そういえば14年前にはポルシェのニュー911ターボ買ってあげたわ」

『時効だ』

「15年前にはフェラーリ・スーパーアメリカを」

『時効』

時効とは大変理不尽なものに感じる。返済義務が時間の経過によって消失するのである。時間には俺たちに対してなんの権限があるんだ。そんなことよりこのヒモ男はなんだ。一年ごとに高級車を買って何がしたいのか。

 

時効には『権利の上に眠るものは保護に値しない』という考え方がある。自分の権利を維持するために、必要な努力をするべきだ。さもないと、お前の債権なくなっちゃうぞ。ということである。先ほどの女性は、唐突に昔のことを掘り返し、返金を要求しているように思える。これは良くないということだ。つまり、相手にお金を貸した時は、油断ならない。毎朝、相手の自宅前で朝の債権運動をすることが肝心だ。

 

しかし、この考え方には問題もある。権利の上に眠る自覚がなくても、時効制度を知らなかったことにより、一定の期間を経過してしまったゆえ、返済を要求する権利を取り上げられてしまう場合や、そもそも自分に債権があることを知らない場合である。これの例としては、過払金問題というものがある。

 

『その過払金、取り戻せるかもしれません。』こんなcmに聞き覚えはないだろうか。大量の借金を持ち、長期間経つと、知らぬ間に法律で定められている制限より多くの返済義務を負ってしまうことがある。これを過払金と呼ぶ。借金を持つ人には、この過払金の返済を要求する権利がある。これを時効が来る前に取り戻そう、というのがこのcmの意味である。

 

4年前、そんな過払金のcmを出していた、アディーレ法律事務所が法律違反で捕まったといったことがあった。「ミイラ取りがミイラになった」の現代版のようで、非常に流行らせたい出来事である。『写メる』『タピる』『アディる』。どうだろうか。流行って欲しいな。