Kitachangの日記

どうしようもない文章

メンチカツをほめろ

今日洗濯と掃除をしました。偉くないですか????

洗濯・掃除をするなんて当然だろう、そんなことでは偉いに該当しない!と憤っている方、まあまあ、一度席にお座り下さい。ちゃんとやる方はそうかもしれないけど、僕はいつも面倒でサボってて、今日はなんとちゃんとやりました!ね、僕の中ではいつもに比べて偉いでしょう。

 

ただまあ、"自己満足の偉い"ではなかなか他者に褒めてもらえないのも事実。ちゃんと学校に行き、ちゃんと授業を聞き、ちゃんと課題をして、テストでいい点を取る。一般世間の賞賛を得るにはこれくらいしないといけない気がして、なかなかハードルが高い。だから自分で自分を褒めていきましょう。というわけで。

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メンチカツを食べようと思います!ヒュー!!!

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愛知出身はやはりコーミソース。これをかけて頂きます。

マジうま〜〜、最高ですわ。まじでお前ら、自分を自分で褒めていこう。

いや、それ以上に、メンチカツを褒めろ。

 

 

コーナーで、差をつけろ。

足の速い奴はモテる。小学生の時、そんなジンクスがあった。初等教育は、人間社会のルールに適応させる重要な時期だ。児童を叱り、ある一定のレールの上に連れ戻すという、画一化の教育がなされる。そういった場であるからこそ、差異はより際立つ。それがテストであったり、運動会のかけっこであったりするのだが、特に、全校生徒、先生、親や大好きなあの子に注目されながら走るあの時間は、小学生が最も輝く時と言って間違いないだろう。一位でゴールテープを切った奴には、女子たちの歓声が待っている。

 

若年期の恋愛は以後の恋愛に大きく影響を与えると聞く。よって、大人になってから困らない為に、小学生の時、足が速いことが肝要である。故に、小学生には『瞬足』を買い与えることが必要である。やや高いが、これを買わないと子供の結婚が危ぶまれることを考えれば、親心的にこれは必要経費である。つまり、世の中金である。このろくでもない、素晴らしき世界。小学生にBOSSのブラックコーヒーは苦いよ。

 

ところで、僕は小学生の時足が速かったのに今モテてないんですけど、バグですか?

猫はもはや、崇拝対象である。

猫は可愛い。これは普遍的なものである。

 

例を挙げよう。情報化が進んだ現代、 Twitter, Instagram などのSNSで自分や他人の写真を貼り付け、発信する側と受け取る側で楽しみや喜びを共有しようとする文化が当たり前になってきている。そんな中、ある人が猫の画像をアップしたとする。すると、すぐにいいねが飛んでくるだろう。これは、赤ちゃんの写真を見た人が皆、その赤ちゃんを可愛い、と言うことに似ている。赤ちゃんを見て冗談で「ブサイクだな〜笑」と罵ることはあっても、本気で罵倒する人は居ないだろう。

 

そんな可愛い猫だが、その影響力を舐めてはいけない。例えば、元イギリスの首相ウィンストン・チャーチルは、自分の死後、自宅を英国政府に寄付する条件として、愛猫ジョックを永久に住まわせることを提示したのだという。かたや、ホワイトハウスに史上初めて猫を持ち込んだリンカーン大統領は、「猫を大事にしない奴は信用出来ない」とまで言っている。もはや猫とは信用問題である。転じて、政治問題である。ホワイトハウス内では、猫は尊すぎて、もはや忌むべきものとなっていたに違いない。誰もが猫を崇め奉り、通りかかる野良猫にすら礼拝をする始末であろう。これは、これまで長い歴史で安定してきた生物史の序列が崩壊した瞬間である。猫は悠々と人類の上に君臨し、鷹揚と猛威を振るう。法治主義などはもう過去の産物、猫治(びょうち)主義の時代の到来である。

 

この時代の中、ごく一部の人類であるが、ぬこ様にお近づきになろうとするものがいる。にゃんこコスをする者達だ。彼女らは猫耳肉球、しっぽを携えて、同じ人間に対してにゃんにゃん♪と甘えてかかるのである。このことに対する世間の風当たりは冷たい。アホくさい、打算的、現実逃避...。冷たい視線を受けているが、人間はこのにゃんこ達を下に見てはいけない。その実、彼女らは人間という枠組みを脱し、猫という、より高尚な枠組みへと昇華しているからである。

毎朝の債権運動を怠るな

「ねえ、あなた13年前にレクサスLS XF30型を私が貸したお金で買ったでしょ、返してよ」

『いや、時効だから』

「はぁ?そういえば14年前にはポルシェのニュー911ターボ買ってあげたわ」

『時効だ』

「15年前にはフェラーリ・スーパーアメリカを」

『時効』

時効とは大変理不尽なものに感じる。返済義務が時間の経過によって消失するのである。時間には俺たちに対してなんの権限があるんだ。そんなことよりこのヒモ男はなんだ。一年ごとに高級車を買って何がしたいのか。

 

時効には『権利の上に眠るものは保護に値しない』という考え方がある。自分の権利を維持するために、必要な努力をするべきだ。さもないと、お前の債権なくなっちゃうぞ。ということである。先ほどの女性は、唐突に昔のことを掘り返し、返金を要求しているように思える。これは良くないということだ。つまり、相手にお金を貸した時は、油断ならない。毎朝、相手の自宅前で朝の債権運動をすることが肝心だ。

 

しかし、この考え方には問題もある。権利の上に眠る自覚がなくても、時効制度を知らなかったことにより、一定の期間を経過してしまったゆえ、返済を要求する権利を取り上げられてしまう場合や、そもそも自分に債権があることを知らない場合である。これの例としては、過払金問題というものがある。

 

『その過払金、取り戻せるかもしれません。』こんなcmに聞き覚えはないだろうか。大量の借金を持ち、長期間経つと、知らぬ間に法律で定められている制限より多くの返済義務を負ってしまうことがある。これを過払金と呼ぶ。借金を持つ人には、この過払金の返済を要求する権利がある。これを時効が来る前に取り戻そう、というのがこのcmの意味である。

 

4年前、そんな過払金のcmを出していた、アディーレ法律事務所が法律違反で捕まったといったことがあった。「ミイラ取りがミイラになった」の現代版のようで、非常に流行らせたい出来事である。『写メる』『タピる』『アディる』。どうだろうか。流行って欲しいな。

オレンジの街灯で暖をとれ

街灯は2種類ある。白色の街灯とオレンジ色の街灯だ。中学生の真冬、部活の関係で太陽が昇る前の真っ暗な時間に家を出なければならないことが何度かあった。何枚上着を着ても、自転車で切って進んでいく真冬の空気は上着を貫通し、寒かった。そんな中、信号で足止めを食らうと決まってオレンジ色の街灯の下に行った。あの灯りはあたたかいのだ。当時、そのあたたかさは、赤外線のおかげであると仮説を立てた。少し前によく耳にした、「赤外線ヒーター」に代表されるように、赤外線にはものをあたためる効果がある。

 

ところで、皆さんは赤外線と聞いて何を思い浮かべるだろうか。たまごっち、なるほど。ならば、あなたは腹痛に備えてたまごっちを二つ携帯しておかなければならない。お腹が冷えたと感じたら、すぐに一方をへその前に、他方を腰の後ろに配置し、腸を挟んで向かい合わせで赤外線ビームをすると良いだろう。現代的かつ原始的な、なんとも面白い荒療治ではないか。

 

結果としては、残念ながらオレンジ色の街灯には赤外線はあまり含まれていないようだった。あの光源はナトリウムランプと言って、電磁波の中でも、オレンジ色の可視光領域の光がほとんどであるためだ。となると、街灯の下で感じたあの暖かさは、美術で言うところの暖色系色の効果によって、あたたかいと"勘違い"しているといったところだろうか。またその辺りもしっかり調べてみたい。

 

熱の正体は、分子の振動である。よって、冷える季節には激しいダンスが効果的である。ぜひあなたも、オレンジの街灯の下で、衣類を脱ぎ捨て踊り狂ってもらいたい。いいえ、私と踊ってくれませんか?

 

不死鳥と書いてフェニックスと読むらしい

 

皆さんはフェニックスと聞いてなにを想像するだろうか。燃えながら飛行するアレだろう。ソシャゲでは、織田信長豊臣秀吉などが中高の教科書で見た肖像画の面影も残さず超絶イケメンとなって出てくるように、様々なゲームなどで神や伝説の人物が汎用されている今、この鳥を想像することは難しくないと思う。さて、この鳥を漢字で書くと『不死鳥』と書くらしい。しかしちょっと考えてみて欲しい。

 

『不死鳥』とは読んで字の如く死なない鳥のことだろう。しかし、フェニックスは燃えているのだから、長くかからず燃え尽きて灰になってしまいそうなものである。その場合、不死鳥という名は相応しくない。『火炎鳥』とか、『紅蓮鳥』とかどうだろうか。しかし、最も優れた名前は『焼鳥』だろう。そうに違いない。

 

調べると、不死鳥の由来は、古代エジプト神話にあるらしい。フェニックスは、寿命を迎えると燃える薪に自ら飛び込み死ぬが、再び蘇るとされており、ここから取って『不死鳥』と名付けられたようだ。直感に反したが、由来を聞くと納得出来る話であった。

 

ああ、焼鳥をフェニックスと呼ぶ世界線に1度でいいので行ってみたいものである。友人と焼き鳥屋に行き、「フェニックス1本!」。言ってみたくないですか。